【人食い村】 4章 結末


【人食い村】 4章 結末
中編/シリアス/流血・遺体・死亡描写あり
※残酷な表現が多く含まれます。苦手な方はご遠慮ください。
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【言葉】


 
【人食い村】

4章(最終章) 結末

 
 太陽が昇りきった秋の青空を、数羽の鳥が高らかに鳴きながら過ぎてゆく。森の中は静かだった。
 藪をいくつも抜けるうちに、小さな獣道に出た。森の深いところに入って行くにつれ、頭上に茂る木々が増えて薄暗くなり、光の届かない地面は草が減り、徐々に歩きやすくなった。

ヨハン
「はぁ、はぁ、くそ、鎧が、はぁ、重ぇ、はあ……」
 どこで村人の攻撃に遭うかも分からない以上、武装を解(と)く訳にはいかなかった。それにヨハンは子供の頃から森を走り慣れていたおかげで、甲冑を着ていても軽装のロバートにどうにか着いて行くことができた。

ロバート
「はぁ、はぁ、ひとまずこの辺で大丈夫だろう、はぁ、進路を多少偽装したからな、動ける村人が、はぁ、いきなり全部こっちに来る事は無ぇはずだ……はぁ……。しっかし、よくその格好でこの俺に着いて来れるな、感心するぜ」
 ひと段落して息を整え、歩きやすそうな獣道をだらだらと歩き始める。
 このままクレイグがギルドに嘘の報告をすれば、ヨハンの冒険者生命も終わりである。ヨハンは自分の足取りに、鎖を引きずるような重さを感じていた。
 ヨハンはそのまま歩きながらロバートに話しかけた。

ヨハン
「……なあ、ロバート。今だから言うけどさあ」

ロバート
「なんだ?」
 前を歩くロバートが汗を手でぬぐいながら振り返り、視線だけこちらに向ける。

ヨハン
「お前、堅気(かたぎ)の人間じゃないよな」
 ヨハンは当初から気になっていた疑問をぶつけた。堅気でない、つまり、冒険者になる前は一般人ではなく、後ろめたい仕事を長らくしていたのではないか、という質問である。

ロバート
「まあな」
 ロバートは歩きつつヨハンの方を向き、手についた汗を払いながら答えた。
 木陰の多い森は村の道に比べれば涼しかったが、夏を残すぬるい湿気が二人に少しまとわりついてきていた。

ロバート
「俺がつい最近まで狩人だったってのは嘘だ。冒険者稼業はもうガキの頃からやってる。つっても、お前らみてえな、冒険者ギルドに所属して困ってる人を助けるなんて言う『綺麗な』冒険者じゃねえけどな」

ヨハン
「はぁ……やっぱりな。なんとなくそんな気はしてたぜ」

ロバート
「お互い、そういう綺麗な冒険者稼業はこれっきりだろうし、今さら隠すこともねえな。お前の想像がどこまで合ってるかは知らねぇが、俺は報酬を持ち逃げするつもりで今回の冒険に参加したんだ。持ち逃げ自体はもう4度目、いや5度目だな」

ヨハン
「……最近よく聞く報酬の持ち逃げはお前だったのか」
 地面の小枝や苔は少し湿っており、歩くたびに布団を靴で踏むような柔らかい感触が足に伝わってくる。

ロバート
「全部が全部じゃねぇけど、今言ったとおり、うち4個ぐらいが俺の仕業だ。そうやって姿をくらましては冒険者登録し直して新入り冒険者だと言って依頼を受けるんだ。当然ロバートって名前だって俺の本当の名前じゃねえ。
 ……こっからは弁明する訳じゃねえって事を前置きして言うけどよ、俺だって汚いなりに相手は見るんだ。報酬を持ち逃げする時は、基本的にムカつく奴と一緒の冒険の時に、そいつの責任になるように盗るって個人的に決めてんだ」

ヨハン
「……義賊にでも憧れてるのか?」

ロバート
「俺はそんなイイ子ちゃんじゃねえ。ただ、後味の悪さをちょっとでもムカつく奴のせいにして紛らわしてぇだけだ。
 まあそんで話を続けるけど、今回の冒険も最初はモルガーヌのヤツに責任を着せて盗むつもりだったんだ。まあリーダーのクレイグも、最初見た時にどうもヤバそうなヤツとは思ってたんだが、まさかここまでのヤツとは思ってなかったぜ。そんな最低の奴らがいたってのに、結局これで前金も報酬も盗めねえしよ。連中から一銭も盗れなかったのが俺としては心残りって話よ」

ヨハン
「…………」
 ヨハンは、ロバートが身の上を口軽く語るのを聞きつつも、森の小道の先に何か自然的でない物が落ちている事に気付いていた。

ヨハン
「……おい、ロバート、あれ……」

ロバート
「……ああ」
 ロバートの顔が少し険しくなる。ロバートも気付いていたようだ。
 会話を中断して、その方向へ歩きながら落ちている物に目を凝らしてみると、それは人間の足だった。靴を履いたまま膝のあたりから武骨に切断されている。おそらく依頼対象のヒグマに襲われた犠牲者のものだろう。

 
 ヒグマが近くにいない事を慎重に確認し、落ちている足に近付く。
 ヒグマは獲物に対する執着心が強く、別の動物が自分の獲物に触ったのを見ると、それが単なる偶然であっても獲物を奪う外敵だと判断して猛然と襲い掛かる習性がある。
 そればかりか、ひとたび外敵だと判断してしまうと、いくら逃げても犬より数倍鋭い嗅覚でどこまでも追いかけてくるという。うかつに触らないように足を調べる。

ロバート
「……どうやらここは、例のヒグマの縄張りみてえだな……ん?」
 ヨハンもロバートも、その右足であろう足が履いている靴に見覚えがあった。モルガーヌのものだ。

ロバート
「こいつはモルガーヌの足じゃねぇか! へっ、ざまあみろ」
 ロバートが落ちている足に対して汚い薄ら笑いを浮かべる。
 状態を見る限り、足は切り離されて半日くらい経ったものだった。
 周囲にはおそらく人体をひきずったのであろう、落ち葉が荒れた跡とわずかな流血が、獣道をまっすぐ横切っている。
 モルガーヌは村から逃げるところまではうまく行ったようだったが、いくら村人の目を盗むことはできても、夜の間閉じられている村の入口の門を物理的に超える事はできなかったらしい。そのまま現在ヨハンたちも向かっている崖の切れ目を目指して西へ進んだが、この近くでヒグマに襲われたのだろう。

ヨハン
「ヒグマか……」

ロバート
「そういえばヨハンお前、この村に来る前に酒場で飲んだとき、昔ヒグマを倒した事があるとか言ってたよな。実際どの程度のモンだったんだ?」

ヨハン
「そんな事言ってたっけか……」
 ヨハンは酔っ払うと昔の事を思い出して周囲に話す時があった。

ヨハン
「……そうだな、たしか図体(ずうたい)は俺と同じくらいのヤツだったけど、複数人で取り囲んで、若気の至りで槍で突きかかったら上手いこと目にぶっ刺さって倒せたって話だ。今回のは俺の身長より断然でかいらしいし、村の狩人も何人かやってる。ひっくり返っても倒せる相手じゃねえぜ」

ロバート
「そうかい。じゃあ出会ったら逃げるしかねえな」
 ひとまず周囲にヒグマの気配がなさそうな事を確認して、再び崖の切れ目を目指し、獣道を伝って山を登り始めた。
 今のところ気配を感じていないとはいえ、藪に隠れたヒグマに気付くのは難しい。慎重に歩みを進めた。

 
 やがて森が途切れて視界が開ける。
 空は青空だったが、太陽は既に西へと傾き始めており、目指す崖の切れ目も西の方角にあるため、見上げると太陽の光が直接目に入って来た。
 日光を手でさえぎりながら目をこらすと、目の前には6階建ての建物くらいの高さの小さな山が立ちはだかっており、そのさらに奥には、手前の小さな山を越えてから、もう一度それ以上の高さまで昇ったところに、険しい崖が城壁のように、左右に向けて延々とそびえ立っていた。
 両手を広げて盆地からの脱出を阻むような、その崖の手前の一箇所に、小高く平坦で、森が開けた広い場所があった。そこから崖が少し低くなったところへと昇れそうな、足場にできそうな岩が見える。あれが村から出る事ができる、崖の切れ目だろう。

ロバート
「ん? ……おい、おいヨハン! 見ろよあれ!」
 ロバートが崖の手前の平坦な場所の少し下を指し示す。
 そこには2人の成人男性とみられる人の影が平坦な場所へと登ってゆく姿あった。

 
 その2人のうち、後ろをゆくひとりは遠目にも見覚えがあった。長剣を提(さ)げた、大柄で、坊主頭で、頭の天辺(てっぺん)の髪を伸ばして緑に染めている男……

ヨハン
「……クレイグ……!?」
 クレイグを先導しているもうひとりの男は顔がよく見えなかったが、身なりから察するに村の狩人のようだ。おそらくクレイグが道案内に連れて来たのだろう。

ヨハン
「なんでクレイグがあそこに……!?」

ロバート
「あの野郎、きっと俺達を取り逃がしたから、こっそりギルドの支部に先回りして嘘の報告をしようって魂胆だぜ! くそっ!」
 いきり立ったロバートはクレイグを追って走り出した。

ヨハン
「おい、ロバート!」

ロバート
「ヨハン! 俺が先に行ってヤツを呼び止めておく! いつでも戦えるようにしてついて来いっ!」
 既に手前の小さい山の中腹まで登ったロバートが言う。そのままロバートは身軽に山を超えて行ってしまった。
 ヨハンは慌てて追うものの、手前の小さい山の頂上に着いた頃にはロバートは既に崖に向かう坂の中ごろにおり、ヨハンが小さい山を越えて崖に向かう坂を登りはじめた頃には、ロバートは既に崖の切れ目の所まで登りきったらしく、姿が見えなくなっていた。

 
 日は少しずつ傾いて、夕焼けの色へと変わりつつあった。青い色を保っていた空も黄色がかり始めていた。山から吹き降ろす穏やかな秋口の風が、森の木々をゆっくりとざわつかせる。
 妙に静かだった。山の坂道を足早に登るヨハンの心臓が酸素を求めて高鳴り、杖代わりにした槍を握る手に力が入る。

 
 やがてヨハンは崖の切れ目の所まで登り切り、崖の手前の、小高く平坦で、森が開けた広い場所に到達したが、そこで目に飛び込んで来たのは、2人の男が血だまりに倒れた光景だった。

ヨハン
「ロバート……!」
 倒れている2人のうち、手前の男はロバートだった。腹ばいに倒れて動く様子がなく、地面には彼のものであろう血が飛び散っている。死んでいる事は疑いようがなかった。もう片方の男は、登る途中で見えた、村の狩人と思われる人物だった。こちらはヨハンから少し距離があり、腹ばいに倒れて顔が見えないため生死は確認できないものの、こちらもおびただしい量の血が地面に広がり、動く様子もなく、死んでいるだろう事が見て取れた。
 その血だまりの先、崖が少し低くなった高いところ、門以外から村を抜ける唯一の場所に、血に染まった長剣を持ち、こちらに背を向けて立っている人影があった。

 
 クレイグだ。状況から察するに、詰め寄ったロバートと戦いになって斬り伏せ、その後連れて来た村の狩人も口封じに始末したのだろう。
 ロバートが投げたらしい短剣が崖の岩肌に突き刺さっている。クレイグは、近い間合いから放たれたロバートの正確無比な短剣を避け、一刀のもとロバートを絶命させたようだ。

クレイグ
「ヨハンか」
 クレイグが顔だけ振り返ってこちらを見る。
 ヨハンが槍を持っている事は見えているようだが、身体全体をヨハンに向けないのは、ヨハンが急に突きかかってきた際に降りる足場を確認しているとも、突きかかって来るのを待っているともとれた。
 また、西日に向かって立つことで日光に目を慣らしておき、ヨハンとの戦いになった際に、太陽を背にする目的もあるのだろう。

ヨハン
「なぜ……なぜこんな事をしたんだ!」
 ヨハンはクレイグを睨みながらクレイグに向けて身構える。

クレイグ
「彼らが急に刃を向けてきたから、俺は自分の身を守っただけだ。ヨハン。もう村長に話をつけて依頼は破棄してきた。今から一緒に帰ろう。さあ」
 相変わらず背をヨハンに向けたまま話す。
 ヨハンはクレイグの態度から、クレイグが村から脱出しようとした訳ではなく、ヨハンとロバートの口を封じるために、二人の逃げ道に先回りしたのだと察した。

ヨハン
「お前は俺達に毒を盛り、村長に売り渡そうとしたんだろう! それで、それを知った俺達がここまで逃げて来る事を察知して先回りして、先に来たロバートを……!」

クレイグ
「こっちに来るんだ。早く」
 クレイグの横顔からは何の感情も読み取れない。

ヨハン
「黙れッ! こんな光景を見て、お前を信じられると思っているのか! 何のためにこんな事をしたんだ!」

クレイグ
「……フッ、何のため?」
 小さく笑ったクレイグの横顔から余裕と自信が感じられた。おそらくクレイグは、ヨハンとロバートの二人を同時に相手取っても勝つ自信があったのだろう。事実、クレイグは相当な剣の使い手として冒険者達によく知られていた。
 クレイグが右手に持つ長剣に付着した血液が重力に従って垂れ下がり、銀色の刃に邪悪な模様を描いている。

クレイグ
「ヨハン、君もそれなりに年季の入った冒険者なら分かるだろう。自分の名声のためだ」
 クレイグは再び顔から表情をなくして語る。

ヨハン
「名声だと? そんな事の為にお前は何人もの人を犠牲にしたのか!」

クレイグ
「そんな事? お前は冒険者なのに、名声がどれほど重要なのか知らないのか」
 ヨハンを横目で見下ろしたまま、冷静に、かつ徐々に熱くクレイグが続ける。

クレイグ
「お前はなぜ冒険者をしている? 生活の為か? 人助けか? 他人に感謝される為か? それとも立身出世の為か? あるいは心躍る冒険の為か?
 いずれにしても、それらは冒険者として名声があればこそ成し遂げられるものだ。いくら実力があろうとも、誰も知らないような冒険者や、誰からも低い評価を受けているような冒険者ができる依頼がどれだけある? 身元も実力もわからない他人や、依頼を最悪の形で失敗させた人物を信頼して依頼を任せる人間が、この世にどれだけいる? 全ては名声あってこその冒険者なのだ。
 仲間や村人を死なせたあげく、依頼放棄どころか依頼人をも欺いて逃走などという記録を作られれば、冒険者としての名声に致命的な傷がつく。名声に傷がつけばそれ以降の報酬も下がり、依頼も来なくなり、やがて冒険者として生きて行く事はできなくなる」

クレイグ
「それだったら死んだ仲間に罪を着せて名声を守るほうが、冒険者として賢い生き方だ。他人を犠牲にしたところで、それで守った名声を足がかりに、より良い依頼をこなし、もっと良き事を成し遂げればいい。さあ、ヨハン。そこに転がる奴らに罪を着せ、俺と一緒にギルドへ報告しに行こう」
 弁を振るうクレイグは変わらず背を向け、赤くなりつつある西日に向かって立っている。ヨハンが説得に応じて近付けば、そのまま斬るつもりだろう。

 
 クレイグの話を聞いたヨハンは、背嚢を肩から外して左手に持ち、深くため息をついて答えた。

ヨハン
「……名声、か……」
 ヨハンは心臓の鼓動を抑え、呼吸を整えた。そして背嚢を坂の下へ投げ、右手の槍を握りしめ、高い場所に立つクレイグを見上げて言い放った。

ヨハン
「……悪いが俺は、お前と一緒の道を歩むつもりなんか無え」
 山を吹く風がにわかに止まり、静寂が周囲を包む。

ヨハン
「……そんな見せかけの外面(そとづら)にすがり付いて、それを守る為に裏で汚い手を使って、そうやって仲間を身代わりにしてまで冒険者として生き続けるくらいなら、俺は……!」

ヨハン
「――俺は、冒険者なんて肩書きは、いらねえッ!!!」
 ヨハンの絶叫が空気を揺らす。

クレイグ
「……そうか。話し合いは終わりだな」
 落日を始めていた太陽が色を濃く変え、周囲の景色がふわりと赤暗い色を帯びた。
 クレイグがヨハンに向き直る。ブラッドオレンジの日輪を背にするクレイグは、ゆらめく日差しを受けて地獄の炎に立つ死神のような黒いシルエットとなり、漆黒の中に白く輝く両眼でヨハンに視線を合わせた。

クレイグ
「お前はここで死ぬんだ」

 
 クレイグが長剣を胸の高さに構える。
 血まみれの剣身に一瞬反射した光が二人の間の空気を戦慄させ、静穏なる山の一角を狂熱の戦場に変える!

ヨハン
「――うおおおおおおーっ!」
 雄たけびで静寂を破り、クレイグの立つ高い場所めがけて手前の岩を蹴り、クレイグに右手の槍で突きかかる。飛翔からの渾身の突きだったが、当たる瞬間にクレイグが身体を反時計回りに半回転させ、左脇腹の手前を過ぎた。外した事を感じたヨハンがクレイグを見上げた刹那、クレイグがヨハンの頭上に向けて右腕で長剣を振り下ろす。察知したヨハンは力の限り身体を右にそらして剣の軌道から逃れようとした。
 ヨハンの左肩をかすめたクレイグの長剣が、ヨハンの鎖帷子を切り裂いてわずかに軌道を変え、ヨハンの左足のすぐ横の地面を叩く。右側、身体を傾けた先に地面はなく、ヨハンは崖から、下の平坦な場所に転げ落ちた。

ヨハン
「うわっ!」
 背中から地面に激突する瞬間、両腕で地面を叩いて受身を取る。跳ね上がった小石と共に先ほど斬り破られた鎖帷子の鎖たちが地面に降った。立ち上がる間もなく、先ほどいた場所からクレイグが両手で剣を振り上げて飛び降りてくる。ヨハンはとっさに右手に槍をつかみながら身体を左側に回転させてクレイグの着地と振り下ろしを回避し、回転を利用して立ち上がり間合いを取る。
 土煙を巻き上げた姿のクレイグは立ち上がったヨハンを即座に目でとらえ、一気に間合いを詰めながら剣を両手持ちし、右手側から左へ向け、めいっぱい横一文字に振り抜きにかかる。槍を縦に構えて防ごうとしたヨハンだったが、その瞬間ヨハンの本能が警報を発した。

 
“槍ごと斬られる!”

 
 回避が間に合わない。即座にその姿勢で右肘からクレイグに体当たりする。しかし当たりに行った先にクレイグの身体はなく、姿勢を崩して地面を転がった。同時にクレイグの剣が頭上を紙一重でかすめていった。
 クレイグも大振りに剣を振りながら体当たりを避けた事で一瞬バランスを崩したようで、両手で持っていた剣から左手が離れた。
 ヨハンはその隙を逃さず、立ち上がりながらクレイグの右腹めがけ、槍を右手持ちで左手側から右へと横に振り抜くが、クレイグの後退により空を切った。ヨハンは槍を振り抜きながら立ち上がると、間髪いれず槍を右手持ちのまま高らかに上げ、間合いを詰めながらクレイグの脳天めがけて振り下ろすも、今度は後ろに跳ばれて回避された。ヨハンはその振り下ろした姿勢から槍を両手持ちにし、さらに間合いを詰めてクレイグのみぞおちに向けて槍を突き込んだ。

ヨハン
「うおおおおおーっ!」
 だがその突きはまたもクレイグの左脇に逃され、クレイグの左手に槍をつかまれた。
 槍をつかんだクレイグがそのまま右手で剣を振りかぶり、袈裟斬りに斜めに斬り下ろす。とっさにかがんで避けようとしたヨハンだったが、つかまれた槍から手を離すのが遅れ、クレイグの斬り下ろしがヨハンの兜の天辺に激突した。
 剣が兜との間にまばゆい火花を振りまく。頭に強烈な一撃を食らったヨハンは一瞬意識を失い、右側から地面へ転がった。

 
 兜が致命傷を防いだものの、ヨハンの身体は頭に受けた衝撃により、平衡(へいこう)感覚を失っていた。ヨハンは頭を押さえてなんとか立ち上がろうとするが、世界全体が前後左右にぐらついているような感覚に襲われ、身体がふらついて地面に直立できない。
 クレイグはヨハンから奪った槍を崖下に放り投げると、再び剣を両手持ちにして、ヨハンに向けて右手側から左へなぎ払いにかかった。ふらつくヨハンはなんとか身体を後ろに倒して遠ざかろうとしたが、その刹那、ヨハンの左脇腹にクレイグの剣が打ち当たった。振り切られた剣がヨハンの鎧との間に閃光を散らし、その軌跡に赤黄色に輝く半月を描く。
 ヨハンは角材が横殴りに当たったような衝撃を受けて錐揉み(きりもみ)回転で吹き飛ばされ、再び地面を転がったが、身体が斬られた感覚はなかった。クレイグの大振りとヨハンの転倒により、間合いが大きく開く。
 平衡感覚が回復を始めたのを感じたヨハンは、なんとか立ち上がり、甲冑の胴の下に仕込んでいた鎧通しを抜いて右手に構えた。立ち直ったヨハンを見たクレイグがヨハンへ向き直り、姿勢を正して剣を構えなおす。

ヨハン
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……、く……くっ、そ……」
 先ほど衝撃が走った左脇を左手で触ってみると、甲冑の胴の左脇に深々と切れ込みが入っていた。一方で、その内側に着込んでいる鎖帷子まで切れた感触はない。
 クレイグの振るった剣の先は鉄の胴をすっぱりと斬り裂いたが、それによりわずかに勢いが削がれたことで、その下に着た鎖帷子をぎりぎり滑りきったのだ。
 あの時あと半歩、いやあと小指一本分でも間合いが近ければ確実に鎖帷子は裂かれ、ヨハンは斬られていただろう。ヨハンの顔から汗が噴き出す。
 既に頼っていた槍は無く、ヨハンは今や出刃包丁ほどの間合いしかない鎧通しを一本構えるのみである。ロバートの短剣投げを至近距離でかわす相手に鎧通しで突きかかったところで、勝負は明らかである。
 ふと右を見ると、すぐそこは森だった。ヨハンが目をそらしたのを見たクレイグが一気に間合いを詰めに掛かる。

クレイグ
「ウオオオオオオーッ!」
 迫るクレイグが剣を振り下ろしながら咆哮する。
 剣が頭上に激突しようとした時、ヨハンは意を決して右の森に飛び込んだ。クレイグの剣がヨハンの左足の先をわずかにかすめ、靴の先端を斬り落として地面に突き刺さる。
 ヨハンが飛び込んだ草の下には地面がなく、そのまま土手のようになっていた坂を転げ落ちた。それを見たクレイグが同じ坂を滑り降りてくる。ヨハンはそこからさらに森の深い方へと転がり込んだ。転がるヨハンの手足に草やツタが絡まる。

 
 夕日をさえぎる薄暗い森は獣道もなく、ぎっしりと生い茂った草や、幾重にも積み重なった枯れ葉や枯れ草は、地面を完全に覆い隠し、綿(わた)のごとく人体を沈めて地面の判別を困難にしていた。

ヨハン
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
 柔らかい足場のためにすぐに立ち上がる事ができないヨハンは、尻餅をついた姿勢で、追ってきたクレイグへと向き直った。

クレイグ
「無駄なあがきを……。威勢の良い事を言っておきながら、どこへ逃げようというんだ」
 ヨハンを目でとらえたクレイグが、苛立ちはじめた様子で草を掻き分けて迫る。草がクレイグの足にまとわりつき、その動きを緩慢にしていたが、ヨハンは立ち上がらなかった。
 そしてクレイグがヨハンに近付き、ヨハンの脳天めがけて剣を振り下ろそうと右足を踏み出したその瞬間。ヨハンは左手に絡んでいたツタを力の限り一気に引っ張った。するとヨハンの左手からクレイグの右足の足元にかけての直線に、絡み合ったツタが姿を現した。

クレイグ
「むおぉっ!?」
 足場の柔らかさにより重心移動が完全でなかったクレイグの右足は、絡まるツタにすくわれ、足をとられたクレイグは背中から後ろに倒れ込む。クレイグが振るおうとした剣は軌道を外れ、クレイグの右手にあった木に斬り込んで幹に固定され、クレイグの手から離れた。
 かつてヨハンは農民だった頃、森に紛れて何人もの強盗騎士を狩った経験があり、森の中での格闘は得意とするところだった。
 ヨハンは即座に立ち上がり、鎧通しを逆手に持って飛びかかる。

ヨハン
「うおおおおおおおっ!」
 ヨハンは背中から地面に倒れたクレイグの上に馬乗りに乗りあがった。上を取った状態から、右手で逆手に持った鎧通しをクレイグの顔面めがけて振り下ろす。だがその時、クレイグが顔の前に左手をかざし、鎧通しはクレイグの手のひらを突き抜いて顔の直前で止まった。

クレイグ
「ぐううぅっ……!」
 クレイグが顔を歪める。
 鎧通しをクレイグの手から抜こうとすると、クレイグが鎧通しが刺さったままの左手で鎧通しの鍔(つば)を握りしめて、左手から抜かれるのを防いできた。
 それを見たヨハンは、右手で鎧通しをつかんだまま、左の拳をクレイグの顔面に叩き込んだ。クレイグの右頬に拳が激突して鈍い音を立て、クレイグの顔が反時計回りに回転する。ヨハンの篭手の突起がクレイグの顔の皮膚を破り、飛んだ血が草に赤い線を引いた。ヨハンは再び左拳を振りかぶって二発目を叩き込む。拳の激突時に、ごきりという低い音と共に、クレイグの顔面の骨にひびが入った手ごたえが伝わる。
 だがその時、ヨハンの左の二の腕に短剣が突き刺さった。クレイグの右手がいつのまにか短剣を抜き、ヨハンの腕の鎖帷子の、戦い始めに損傷した部分に突き刺したのだ。刺さった短剣は骨を外れたようで、二の腕を突き抜けて裏側の鎖帷子に絡んで止まった。

ヨハン
「うッ……!?」
 クレイグの反撃に驚いたヨハンから力が一瞬抜けた隙をつき、クレイグがヨハンの左二の腕を貫いた短剣を外側に引っ張り、同時にヨハンの右手の鎧通しをつかんだ左手を前に押し出して、身体を時計回りに回転させて馬乗りからの脱出をはかった。

ヨハン
「しまっ……うわっ!」
 ヨハンが姿勢を崩し、二人は馬乗りの姿勢のまま、ヨハンの左側へ向けて回転した。回転した先の草の下にはまたしても地面がなく、二人はそこから、組み合い、刺し合った状態で崖を転がり落ちてゆく。

クレイグ
「うぅうううおおおおオオオオオオオオー!!!」

ヨハン
「おおおおおおおおおおおおおおおー!!!」

 
 転がり行くさなか、ヨハンの背中に岩の張り出しが激突した。

ヨハン
「あがっ!」
 衝撃で鎧通しからヨハンの右手が離れ、左腕からクレイグの短剣が抜ける。そのまま二人は別々の場所へ転がり落ちていった。

 
 太陽は徐々に山に隠れようとしていた。
 空は青さを完全に失い、血のように赤く染まっていた。

ヨハン
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
 崖下に落ちたヨハンはそれでも生きていたが、身体を打った衝撃で立つ力を失っていた。
 壊れた板金鎧をなんとか身体から外し、這いずって近くの木にもたれかかる。

ヨハン
「ううっ……はぁっ、はぁっ……」
 ヨハンの前には森が開けた場所が少しだけ広がっており、開けた場所全体に繁る、成人男性の膝くらいの高さの草むらを夕日が紅色に染めていた。
 少しの間を置き、前方の草むらの向こうにある藪を掻き分けて、クレイグがヨハンの前に現れた。

クレイグ
「はぁ、はぁ、ま、まだ生きているのか……はぁ、しぶとい野郎だ、はぁ、」
 クレイグも相当に息を切らしていたが、落下した場所が良かったのか、支障なく歩く事ができていた。クレイグの左手にはヨハンの鎧通しが刺さっており、右手には先ほどヨハンの左腕を貫いた短剣が握られている。一方でヨハンにはもはや武器はなく、つかむようなツタも手元にはない。手足も少し動かすのが精一杯だった。

クレイグ
「だがもう終わりだ。ここで息の根を止めてやる」
 クレイグが剣を構えて歩み寄る。これまでかとヨハンが絶望したその時。草むらの途中で、クレイグが足元にあった何かを踏んだ。

クレイグ
「ん……? これは……」
 クレイグが自分の踏んだ物を見て少し表情を固くした。
 ヨハンも、なんとか動く腕を使って少し背中を伸ばし、クレイグが踏んだ物を見る。

ヨハン
「人間……モルガーヌ!?」
 死んだモルガーヌが仰向けの状態で転がっていた。
 流れ出た血は固まり切っておらず、死亡してまだ数時間といったところに見えた。ヒグマは捕らえた獲物の生死に無頓着で、とどめを刺さず生きたまま喰らうという。モルガーヌの状態と、山を行く途中で見つけた足から察するに、おそらくモルガーヌは、ヒグマに襲われて致命傷を負ったものの、その時点ではまだ生きており、何時間も生きたまま引きずられてここに運ばれ、ここで数時間前に絶命したのだろう。
 ヒグマは食べきれなかった獲物に土をかけて保存する習性があるが、モルガーヌにはまだ土がかけられていない。

クレイグ
「な、なぜこの女が、ここに……」
 つまり、この近くにはまだ、ヒグマが……

クレイグ
「はっ……!?」
 気付いたクレイグが後ろを振り返る。だが時既に遅く、クレイグのすぐ後ろには、岩のように大きなヒグマが二足歩行で藪を突き抜けてクレイグへと襲い掛かる姿があった。
 ヒグマが右手の鋭い爪をクレイグへと横薙ぎに叩き付ける。ヨハンとの戦いで疲労したクレイグに背後からの一撃をよけるだけの余裕は残っていなかった。ヒグマの爪がクレイグの胸をえぐり、クレイグから血しぶきが散る。

クレイグ
「があああぁ……っ……!!!」
 驚きと怒りが混ざった声を上げて地面に倒れたクレイグに、ヒグマは容赦なくかじりついた。

クレイグ
「や、やめろぉ……やめろおおおおッ……! があああああ……あああああアアアアー!!!」
 抵抗しようとしたクレイグだったが、ヒグマの腕に腹を裂かれて絶叫を上げ、やがて全身を痙攣(けいれん)させた。もはや助かる事はないだろう。

ヨハン
「はぁ、はぁ…………」
 息を整えたヨハンはどうにか立ち上がる力をつけ、足をふらつかせながらも慎重にヒグマの近くを立ち去った。

 
 鎖帷子も脱ぎ捨て、森を抜けて獣道を進み、再び崖の切れ目へと向かう。ヨハンの背後では、しばらくの間、クレイグの断末魔が響いていた。

 
 夕日は山に隠れはじめていた。寒さを感じる風がヨハンの肌をなでる。
 村人たちは今もこちらへ登ってくる様子はない。おそらくは、クレイグが目撃者を作らないようにする為に、村長に交渉する等して、村人が登って来ないようにしたのだろう。そもそも人を食らうヒグマがうろつく山である。止めるまでもなく、登れと言われても登る者は少ないだろう。
 やがてヨハンは落とした背嚢を見つけ、ヒグマに荒らされていない事を確認して背負い、崖の手前の、小高く平坦で森が開けた広い場所に再び到達した。
 夕日が全てを赤暗く染め、岩や木々の横に漆黒の影を描く中、血だまりに横たわる、村の狩人とロバートの隣を通り過ぎる。

ヨハン
「……悪いな、ロバート。また後で拝みに行くよ」
 そうロバートに声をかけたとき、近くでうめき声が聞こえた。

村の狩人
「たす……けて……」
 見ると、クレイグに斬られた村の狩人の男がわずかに生きており、苦悶の顔をこちらに向けて助けを求めていた。クレイグに斬られた際に身の危険を感じて死んだ振りをしていたようだ。だが出血量からも傷口の位置からも、その命は助からない事が見て取れた。
 男の顔を見たヨハンは、その顔に見覚えを感じた。バジリアが死んだあの時、半裸でバジリアを襲っていた男のひとりだった。

ヨハン
「……その傷じゃ無理だぜ」
 ヨハンは男に向けて冷淡に言った。

村の狩人
「う……うう……」
 男の苦悶の表情が絶望の色を帯びる。だが男はそこから言葉を続けた。

村の狩人
「ま……待って、くれ……、村長……が……い 言ってたん、だ……、あんた……らが……ギルドや……領主様……に、報告……したら……この村は……終わりだっ……て……、だから……く、クレイグさんを……ここに……連れて行けって……」
 おそらくこの男は、村長にバジリアを死なせた責任を問われ、クレイグをここまで案内する役目を負わされたのだろう。だがここでクレイグに斬られていると言う事は、村長はクレイグに、この男をここで始末するよう指示していたのかもしれない。
 冒険者達が問題を残したまま村から逃げてしまえば、おそらく村人達に責任を問われるのは村長であり、そうなれば次の虐めの標的は村長である。村長は自らを守るために、冒険者達の口を封じて罪をなすり付け、事実を隠そうとしたのだろう。だとすると、このままヨハンが村を去ってしまえばその目論見は崩れる事となる。

村の狩人
「た……頼……む……、待っ……て……くれ……、報告、しない……で……」
 先日まで得意顔でヨハンたちを罵倒していた男が、必死にヨハンを引きとめようとする。村長に色々と吹き込まれたのだろう。
 だがヨハンは何も言わず、そのまま無表情で視線をそらして立ち去った。男はそれを見て力尽きたらしく、うめき声も聞こえなくなった。

 
 ヨハンは岩を伝って崖の切れ目へと登り、崖を越えた。村からの脱出の一歩を踏み出したのだ。
 すると崖の裏側に誰かの背嚢が置いてあるのが見えた。

ヨハン
「これは……クレイグの荷物か」
 背嚢をあさると筒状の紙を見つけた。村の宿屋で見つけた、前回の冒険者の手紙だ。
 どうやらクレイグは、これを自分が有利になるように使うために持っていたようだ。これをヨハンが冒険者ギルドに持ち帰り、ギルドに見たままの事を話せば、この件でヨハンの身にかかる疑いは多少なり晴れるだろう。それに冒険者集団の壊滅が3度目ともなり、手紙の内容も知られれば、ギルドも重い腰を上げ、高位の魔法使いを含む精鋭の調査隊が村に送り込まれ、あの村の陰惨な文化が暴かれるかもしれない。
 だがヨハンは、帰還までの道のりや、その後のギルドの取調べに加え、調査隊に同行して再びあの村に入る事などを考えると、ため息が出るばかりだった。
 ヨハンは前回の冒険者の手紙を自分の背嚢にしまい込むと、越えた崖から村の方を見下ろした。遠目から、村のところどころに、村人と思わしき小さな影が動いている様子がわずかに見えた。

 
 虐める対象を失った村人たちは、きっとまた理由をつけて村人の中に標的を作り出し、標的にされた人々は村に対する恨みからまた何か問題を起こすのだろう。退治されなかったヒグマも、またいつか人里に降りて村人を襲うだろう。
 そうして問題を蓄積させていったあの村は、また何も知らない冒険者や旅人を呼び寄せては、哀れな彼らを食らい、飲み込んでゆくのだ。
 村の真相が明らかになり、冒険者や旅人が訪れなくなったとしても、深く根付いてしまった文化を簡単に変える事はできないだろう。
 そうして時が経つごとに、次々に村人が別の村人の標的となってあの村に食われてゆき、やがて……

 
 盆地の中央に広がる村の家々は、山に隠れゆく夕日の暗い紅色に照らされ、真っ赤に染まる屋根を見せていた。
 そして日が沈むにつれて山の影が村へと伸びてゆき、血の色に照らされていた村と村人達は、死者が布をかぶせられて行くかのように、黒いインクのような闇の中へと沈んで行った。

 
 その後、ヨハンは村を振り返らなかった。

 
人食い村 終


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