【人食い村】 3章 犠牲


【人食い村】 3章 犠牲
中編/シリアス/流血・遺体・死亡描写あり
※残酷な表現が多く含まれます。苦手な方はご遠慮ください。
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【人食い村】 4章 結末


 
【人食い村】

3章 犠牲

 
 宿屋の2階につき、バジリアとモルガーヌの泊まる部屋の床に、冷たくなったバジリアを横たえて布をかける。
 窓の外に広がる空では、夕日の紅色が夜の藍色に包まれて消え行こうとしていた。建物のどこかにある隙間から風が吹き込んで薄暗い部屋に寒さを運ぶ。

ロバート
「なんでこんな時に一人で外に出ちまったんだ、こいつは……」
 ロバートが悔しげにつぶやく。
 おとなしそうな外見の少女が無防備にも一人で村人たちの前に出てしまったため、それを見た村人たちは色々と抑えきれなくなって襲い掛かったのだろう。特に、捕虜の山賊をいたぶっていたさなかである。熱狂で村人たちに集団心理が働いた事は容易に想像がついた。

ヨハン
「……バジリアも若手とはいえ、こんな時に一人で外に出れば危険だって事ぐらい分かっていたと思うんだがな……」

ロバート
「そうだよな……」
 考えていた様子のロバートだったが、視線を下に落として足元に置かれたバジリアの荷物を見た際に、はっとした表情となりモルガーヌに向き直り、顔をしかめてモルガーヌを指差した。

ロバート
「……おい、モルガーヌ。てめえがバジリアを外に出したんだろ」
 ヨハンも、普段よく舌の回るモルガーヌが、さっきから黙っている事が気になっていた。

モルガーヌ
「はあ? 意味わかんない事言わないでよ」
 しらを切るモルガーヌだが、続けてロバートがバジリアの持ち物を指差す。

ロバート
「じゃあなんでてめえの水を入れる袋が、バジリアの持ち物の中にあるんだよ!」

モルガーヌ
「…………」

ヨハン
「……まさかモルガーヌ、バジリアに水を汲ませに行かせたのか!?」

モルガーヌ
「なんでいきなりそんな思考になるの? あの時はバジリアが勝手に私の分まで水を汲みに……」

ロバート
「嘘つけっ! んな事バジリアが自分からやるかよ!」

モルガーヌ
「だからバジリアが勝手に汲みに行ったって言ってるでしょ!? 人を嘘つき呼ばわりするのやめてくれる!? 信じらんない!」

ヨハン
「汲みに行ったの知ってたんなら何で止めなかったんだよ!」

ロバート
「ひとりで外に出りゃ危ない事ぐらいわかるだろうがよ!」

モルガーヌ
「あああーっ! うるさい! うるさいっ! 汲ませに行ったら何なの!?」
 モルガーヌが開き直って椅子を蹴飛ばす。椅子は部屋の壁に当たり、その拍子に折れた木製の足が夕闇の差し込む床を乾いた音を立てて滑った。

ヨハン
「やっぱり汲ませに行かせたんじゃねえか!」

ロバート
「てめえ自分が怖いからってバジリアに無理矢理汲ませに行かせやがったのか!」

モルガーヌ
「だから! うるさいって言ってんの聞こえない!? 男のクセにネチネチ人を責めやがってさぁ! どうせお前らふだん私に勝てないからって、ここぞとばかりに袋叩きにしてるだけでしょ!?」

ロバート
「んだと!? 何が勝てねーだよ! 喧嘩売ってんのか腐れ阿魔(あま)が!」
 逆上したロバートが腰の剣に手をかける。ヨハンはそれを見てはっと冷静を取り戻し、思わずロバートの右手を押さえた。

ヨハン
「おい、ロバート!」

ロバート
「るせえ!」
 ロバートがヨハンの手を払う。それを見たのかクレイグが話に割り込む。

クレイグ
「みんなよせ! やめろ!」

ロバート
「クレイグ! こいつがバジリアを――」

モルガーヌ
「違う! こいつらが私を――」

クレイグ
「無駄な喧嘩はやめろ! ここで喧嘩してもバジリアは戻って来ない!」
 クレイグがよく通る声で一喝する。ロバートもモルガーヌも我を取り戻したのか、息を荒げながらも言葉を止めた。怒声がこだましていた部屋に静寂が訪れる。

クレイグ
「……明日はヒグマ退治だ。もう各自早く休むんだ!」

ヨハン
「なっ……! こんな状況でまだ依頼続けるつもりなのか!?」

クレイグ
「そうだ。ヨハン、きみも中堅どころなんだから、犠牲があっても依頼を達成するのが冒険者の仕事だという事は分かるだろう?」

ヨハン
「そうは言っても、事態が……」

クレイグ
「みんな今日は熱くなり過ぎだ。とにかく一晩寝て頭を冷やせ」

モルガーヌ
「このまま寝ろって言うの!? 何で私が死んだ人間の隣で寝なきゃいけないの!? 逃げりゃいいじゃん、こんな村!」
 モルガーヌが再び加熱するが、クレイグに視線で制される。

クレイグ
「不安なのは俺も同じだ。だが今から逃げたところで、村の入口の門が閉められている以上、村を出る事は出来ないぞ。それともこんな夜中に熊がうろつく山を登るつもりか? だったらまだ朝まで待った方が選択肢があるだろう。
 ただ、ここで村人に襲われる不安もあるだろうから、俺が宿の周囲を見回りに行っておく。皆は早く寝ろ。いいな」
 クレイグは淡白な言葉をてきぱきと並べて3人の反論を封じると、さっさと部屋を出て階段を降りてしまった。

ロバート
「……何だよあいつ、くそっ!」
 ロバートが扉を蹴って自分の部屋に戻る。

モルガーヌ
「ちょっと扉蹴るのやめてくれる?」
 モルガーヌがしつこく噛み付く。

ヨハン
「ああ?」
 ヨハンとロバートが同時に睨んだのを見たモルガーヌは一瞬びくりとひるんだが、動じていない風にため息をつき、機嫌悪そうに目をそらしながら自分の部屋の扉を閉めた。
 そのすぐ後、ヨハンとロバートが自室の扉をくぐっている時、モルガーヌの部屋から、彼女が憤怒の息を吐いた声と、粘土に棒を突き立てたような鈍い音が聞こえた。音の方向からモルガーヌが何をしたのかすぐに分かった。

ヨハン
「おい、あいつバジリアに蹴りを入れやがったぞ」

ロバート
「ああ、構うな。もう疲れたくねえよ」
 ヨハンとロバートは自室に戻ってベッドに寝転んだが、寝かかり始めたとき、窓に何かがコンコンと当たる音が何度もするようになった。

ヨハン
「何だぁ?」
 窓を開けると外は既に夜の闇に沈んでいた。その窓から乗り出して宿屋の付近を見ると、数人の人影が建物の影に隠れるのが見えた。

ロバート
「もうなんでもいいだろ、さっさと寝せてくれよ……」
 ロバートが毛布の中でうごめく。

ヨハン
「あ……ああ。悪い」

 
 窓を閉めて少しすると、また窓に何かが当たる音が響きはじめた。さっきの人影から察するに、村人たちが窓に小石をぶつけているのだろう。ときどき大きめの石が混ざっているらしく、一定しない音がヨハンの眠りをさまたげた。

ロバート
「あああああっ! くそっ!」
 突然ロバートが叫んで起き上がり、勢いよく窓を開けて外に身を乗り出す。

ロバート
「おいっ! 今石をぶつけやがったの誰だっ! てめえらぶっ飛ばしてやるっ!」
 ロバートの怒声がこだまする一方、窓の外で村人の笑い声がいくつも聞こえた。

ヨハン
「ロバート! 落ち着け!」
 窓から落ちそうな勢いでまくし立てるロバートを押さえる。

 
「いいよなぁ! 人の命を取るだけで金が稼げて!」
「そんなの誰でも出来るんだよ!」
 暗闇から村人が発したであろう野次がいくつか飛び、再び何人かの笑い声が起こる。

ロバート
「クレイグ! 外にいるんだろ! あいつら追っ払え!」

ヨハン
「ロバート!」
 興奮した様子のロバートをなだめる。

ロバート
「はあ、はあ……あぁ、何なんだこの村はよお!」
 ロバートはしばらく肩を上下させて荒く息をした後、窓を閉め、荷物から何か紙のような物を取り出して窓に押し当てた。すると窓が一秒ほどほんのりと黄色く光った。

ヨハン
「ん? なんだそれ?」

ロバート
「特定の物に障壁を張る魔法だ。衝撃を防ぐほどじゃないが和らげる効果がある。これでしばらくは静かになるはずだ」
 閉められた窓には再び石が投げられ始めた様子だったが、ロバートの説明の通り、その音は徐々に小さくなっていた。

ヨハン
「ロバート、魔法が使えるのか?」

ロバート
「かじった程度だがな。それにこの護符は魔力がない奴でも使える、使いきりの道具だ。値が張るけどしょうがねぇ。……はぁ、それにしても村の奴ら、絶対俺らに嫌がらせするのを楽しんでやがるぜ」
 そう言うとロバートは護符を片手で丸めて荷物袋に入れようとしたが、荷物袋の上に、手のひら2つ分くらいの長さの筒状の紙が落ちている事に気付いて拾い上げた。

ロバート
「ん? おい、これヨハンのか?」

ヨハン
「なんだそれ?」
 気になったヨハンが筒状の紙を受け取って広げてみる。だがよく見えないので携行用のランプに明かりを灯して光を当ててみると、そこには文字がびっしりと書かれていた。

ヨハン
「うわっ、なんだこれ……。ロバート、読めるか?」

ロバート
「ヨハンこそ……」
 二人で補い合って文字を読みにかかる。

ヨハン
「ええと、『私は刻碑歴xx年xx月にこの村を訪れた冒険者だ』……おい、これって、前にこの村に来て全滅したっていう冒険者の……」
 おそらく、2年前にこの村を訪れた冒険者が、特定の種類の魔法を窓に対して発動すると手紙が現れる仕組みの隠匿魔法を使い、手紙をその後の冒険者に託したのだろう。
 紙の質と保存状態の悪さのせいか手紙は劣化していた。筒状になっていた際に紙の下側が表面の側だったらしく、文章の後半は紙がボロボロで、文字を読み取るのが困難だった。

手紙
私は刻碑歴xx年xx月にこの村を訪れた冒険者だ。次に来た冒
険者にこの手紙が渡るよう祈る。書ける文が限られるので簡潔に
書く。この村は狂っている。すぐに逃げてほしい。

かつては平凡な村だったらしいが、ある時、村の落ちこぼれを他
の村人たちで虐めた際に彼らは快楽を見出したらしく、そこから
その陰湿な落ちこぼれ虐めは村の文化となっていったようだ。
だが一方で村人たちは、それを続けていれば、いずれ自分自身が
次の虐めの標的になる事を理解して恐れていた。

そんな時にやってきたのが、我々の7年か8年前にこの村に来た
という冒険者だった。彼ら冒険者は村で何か揉め事を起こしたら
しく、その事が原因で、村人たちは総出で冒険者たちに執拗な嫌
がらせを繰り返して追い出したという。
おそらくそこで村人たちは、一致団結して余所者を虐める楽しさ
に取り憑かれたのだ。なにより我々冒険者は余所者である上に、
規定により村人を攻撃できない。村人たちにとって格好の獲物で
ある事は今なら容易に想像できる。

何も知らずに村を訪れた我々がその事に気付き始めたのは、愚か
にも、依頼を引き返せない段階までこなした頃だった。我々が帰
るに帰れない事を知った村人はいっせいに虐めの牙をむいてきた。
村人たちは彼らの考えうるあらゆる手で我々を罵倒し、侮辱し、
追い詰めて気を狂わそうとしてくる。そうして冒険者が心を狂わ
せれば、歓喜の表情で攻撃の手を強めてくるのだ。

手紙
人とは恐ろしいものだ。人は自分が虐げられる立場に立 される
と、より下の者を作り出して虐げ始め、寝食を共にした仲間すら
その標的とするのだ。
やが 我々は自分達の中に虐げる相手を求めて仲間割れを始
ついに命の奪い合いにまで発展した。そんな事はやめようと言い
出した者は即座に標的とされて死んでいった。さらに仲間の一人
が怒 に我を忘れて村人を斬ってし うと、大義名分を得た村
は我々 襲い掛 った。

きっと前 に全滅し という 険者達も、同じように死ん
 のだろう。もう誰が死 で誰が逃げ のかも分からな 。私も
こ 部屋に取 残さ てしまっ 。
 のままだと私も、部屋 扉の外に る    村人か仲間に
される。 や、  のこと 、きっと私 しばら 死ぬ事 許さ
 ず苦痛 受け続    なる ろう。こ から逃げ 事が
れば、 の苦し も穏や  った日々 戻れ    か。
 が私も、  まで連れ添っ 恋人を  てしまっ 。口喧嘩
  私が彼女 首を絞    たんだ。も 戻 ない。死 たく
 い。誰か 扉 こじ開け う して る   終わ  。こ
以上       次








クレイグ
「何をしているんだ」
 声に振り返るとクレイグが抜き身の剣を持って背後に立っていた。

ロバート
「クレイグ! これを見てくれっ! 俺達の前にここに来た冒険者が残した――」

クレイグ
「そんな事はいい」
 話を途中まで聞いたクレイグはさえぎって話した。

ヨハン
「そんな事……!?」

クレイグ
「それより二人ともモルガーヌを見なかったか?」

ヨハン
「……モルガーヌ? 知らないけど……」

ロバート
「……あいつ逃げやがったのか?」
 ロバートが勘づく。
 クレイグが顔でモルガーヌの部屋をさして見に来るよううながし、手紙はロバートが持ったまま、3人で部屋を移る。

 
 モルガーヌの部屋に入ると、部屋にモルガーヌと彼女の荷物がなく、ただバジリアが布をかぶせられて横たわるのみだった。バジリアの体がずれたらしい床の血の跡と、布についた真新しい拳大の血のにじみが、モルガーヌに蹴られた事を示していた。
 透明化の魔法を簡易とはいえ使えるモルガーヌなら、素人ばかりの村人をあざむき、単独で夜の闇に紛れて逃げる事は、おそらくそれほど難しい事ではなかっただろう。今から追っても追えるものではない。
 ヨハンとロバートの後ろでクレイグが剣を鞘(さや)に収めた音を立てた。

クレイグ
「ロバート、その紙を見せてみろ」
 クレイグも前回の冒険者が残した手紙を受け取って読む。ヨハンとロバートと共に入口の手前の廊下に立ったまま、しばらく真剣な面持ちで読んでいたが、やがて深くため息をついた。

クレイグ
「……お前達もこれを全部読んだのか?」
 クレイグが手紙を筒状に戻しながら話す。

ヨハン
「あ、ああ」

ロバート
「なあ、俺達ももう逃げようぜ」

クレイグ
「駄目だ。この手紙の内容が事実かどうか分からない以上、こんな夜中に逃げてしまえば俺達全員の冒険者生命が終わるぞ」

ヨハン
「おい、冗談だろう。意地でも熊退治する気かよ?」

クレイグ
「……いや。さすがにそんな無茶をする気は俺もない。だが逃げる事はしない。明日を待って村長に依頼破棄の話をつけ、それから帰ろう。今から村長を叩き起こしたらそれこそ騒ぎになるし、村長の印象も悪いだろう」
 クレイグが冷静に言葉を並べる。

ヨハン
「……」

クレイグ
「仮に逃げようとしたって、モルガーヌのように透明になったりできない我々ではかえって危険なだけだ。なにより今日はもう疲れただろう。ひと晩休んで、なるべく万全に近い態勢で明日にのぞもう」

ロバート
「……ああ、わかったよ、俺はもう寝るぜ……」
 ここに来ての『今日はもう疲れただろう』の一言はロバートにとって決定打となったらしく、ロバートはため息をつき、挨拶代わりか右手を顔の高さでひらひらさせながら部屋に入り、ベッドに倒れこんでいった。

クレイグ
「ほら、ヨハンも」

ヨハン
「あ、ああ……まあ……そうだな……」
 ヨハンは納得し切らないところではあったが、クレイグより良い案も思い浮かばないので、クレイグに従う意思を示した。
 うながされるまま部屋に入り、ベッドに寝転がる。

 
 そのまま部屋のベッドで死んだように眠った。相変わらず窓を小石が叩いていたが、ロバートの魔法のおかげで音は軽減されており、そこまで気にならなくなっていた。

 
 目を覚ますと既に太陽は高らかに昇っており、外は昼時といった様子だった。疲れから普段より長く眠っていたようだ。
 もうこの宿を出たら戻ってくる事はないだろう。村人の襲撃も怖い。ヨハンはそう思い、起きてすぐ布鎧を装着し、荷物もまとめ始めた。
 ヨハンの装備している鎧は、一番下に着る布鎧、その上に着る鎖帷子(くさりかたびら)、さらにその上に着る板金鎧で構成されており、一番下の布鎧だけでもそれなりに防護力があった。
 着替えながら他のベッドを見ると、ヨハンの着替えの音に気付いたロバートが起きるところだった。一方でクレイグの姿はなく、彼の荷物も見当たらない。

ヨハン
「なあ、ロバート。クレイグはどうした?」

ロバート
「ああ……?」
 ロバートは目をこすり、あくびをしながらクレイグのベッドを見て、眉間にしわを寄せた。

ロバート
「クレイグ……あいつ逃げやがったのか?」

ヨハン
「うーん……クレイグはそんな奴じゃないとは思うんだがな……良くも悪くもだけど」
 ヨハンがそう言っている間にロバートはさっさと出る支度を済ませて廊下に出た。

ロバート
「おーい、クレイグ! どこだ!」
 ロバートが1階の方に声をかけると、食堂の方から物音がした。いくつもの食器が床に落ちる音と、何か重い物が床に倒れた音だ。

ロバート
「ん? おい、見に行こうぜ」
 そう言って階段で下に降りていったロバートに続き、ヨハンも鎧通しを腰に携帯して一応の武装をし、下の食堂へ向かった。

 
 冒険者達が泊まっている部屋と同じくらいの狭さの食堂に降りると、人の姿はなかったが、木のテーブルの中央に芋のサラダが盛られた皿と水の入ったビンが1つずつと、皿とスプーンが4人分置かれていた。宿屋の主人が用意した冒険者達向けの朝食のようだが、量は少なく、具も少し不安な色をしていた。
 ヨハンは、宿屋の主人が料理を通して劣悪な待遇をしたつもりなのかもしれないと邪推した。宿屋の主人もまた村人の一員である。そうでなくとも昨晩は冒険者達が騒がしくしていたため、同じ建物に住む宿屋一家は良い思いをしていなかっただろう。

ヨハン
「……それにしても、誰もいないな……」
 一応は料理も用意してあるのに、クレイグどころか宿屋一家の気配もない。不審に思っていると、今度は台所の床の方から、強い足踏みのような音が何度かした。

ヨハン
「ん? 宿屋さんか?」
 食堂と台所を仕切る扉を開けたその時。扉の向こうから、男が苦悶の表情で口からよだれを垂らし、両手で自分の首をつかんだ状態で転がり込んできた。

宿屋の主人
「がっ……あ……ああ……!」
 男は宿屋の主人だった。そのまま食堂の床に倒れこみ、口の中にあった唾液を床にぶちまけた。

ロバート
「なっ……!? おい、どうした!」

宿屋の主人
「き……さま……ら……」
 宿屋の主人は息が出来ないといった様子でこちらを睨みつけたのも束の間、がくんと力が抜けて白目をむき、動かなくなった。それを見たロバートが台所を覗き込む。

ロバート
「……これはどうも雲行きが怪しいぜ」
 ロバートが顔で台所をさす。
 ヨハンが台所を覗き込むと、宿屋の主人の妻と息子が唾液を吐いた状態で倒れて動かなくなっており、一家全滅といった様相だった。床に散らばった皿などが先ほどの物音の出所を示している。

ヨハン
「うっ……!?」

ロバート
「この死に方からすると、たぶん食い物に毒を盛られたんだろう。そこの食事には手をつけない方がいいな」
 ロバートが冷静に分析しながら台所に踏み入り、ヨハンも続いて台所に入る。すると台所のテーブルの上に小さな紙切れを見つけた。紙切れには、比較的分かりやすい文字で短い言葉が書かれていた。

ヨハン
「なんだ、これ……クレイグの字か? なになに……」

 
 書かれていた文字は以下の通りだった。

クレイグより。
昨日は疲れただろう。
依頼の為とはいえ、振り回してすまなかった。
わびがてら、空腹だろうから食事に俺のパンを足しておく。
各自で食べてくれ。

ロバート
「パン……多分これか……」
 台所の床に落ちていたパンを見てロバートがつぶやく。
 クレイグがパンに毒を仕込んだのだろう。

ロバート
「クレイグ……あの野郎、俺達を村に売り渡そうとしやがったな」

ヨハン
「クレイグが……!?」

ロバート
「くそっ! 考えてみりゃ昨日の夜、クレイグは見回りとか言ってどっか行っちまったが、あれは村長に話をつけに行ってやがったんだ!」

ヨハン
「で、でもよ。クレイグが村長と何をどう取引したら俺達をやる事になるんだ?」

ロバート
「口封じに決まってんだろ! クレイグは俺達が前の冒険者みたいに勝手に命を奪い合った事にして、自分の依頼放棄と仲間の死を正当化しようとしたんだ! そうすりゃギルドにも言い訳が立つし、自分の名声につくキズも最小に押さえられる! 村長としても、バジリアが死んだ理由を俺達のせいに出来るし、村の悪評も言いふらされずに済むし、正当に依頼放棄されればギルドに報酬を支払わずに済むだろ! 奴らの利害が合っちまったんだ!
 そういえばクレイグの野郎、俺たちが手紙を読んでた時も剣を抜き身で持ってやがった。見回りの際に抜いたもんだと思ってたが、部屋の中までなんて不自然過ぎるぜ。あれはモルガーヌと俺達をやるつもりだったんだ!」

ヨハン
「……だ、だとしてもよ。だったら何であの時に俺達をやらなかったんだ?」

ロバート
「あの時?」

ヨハン
「お前とモルガーヌが喧嘩した時とか、俺達が手紙を読んでた時とか……俺達をやる機会は結構あったんじゃないか? それにわざわざ毒なんて使っても証拠が残るだろ」

ロバート
「ああ。確かに俺がモルガーヌと喧嘩した時、あの流れで3人仲良く刺し違えりゃヤツにとって都合が良かっただろうな。けどお前が止めに入っただろ。たぶんクレイグはそれを見て、同士討ちにならないか、なっても1人死ぬのが精々と思って俺達に割って入ったんだ。……いや、そもそもあの時は村長と話も付いてないし、まだ俺達をやろうとは思ってなかったかもな。
 村長と話をつけて帰ってきたら今度はモルガーヌが姿をくらましてたから、こっちも多分だが透明化したモルガーヌに近くで見られている可能性を恐れたんだ。なんにしても俺達のどっちかをやれば、もう片方に逃げられるか逆襲されるかもしれなかった。あの夜に俺達をやるにはクレイグにとって都合が悪かったんだ。だから毒で2人ともやって、後は死んだ2人のうち片方を焼いちまえばいいとでも考えたんだろうよ」

ヨハン
「……それで朝まで待って、パンに毒を仕込んで俺らに食わせようとしたら、宿屋一家がパンを盗み食いして今に至る、って訳か……」
 床に横たわる、卑しくも哀れな宿屋一家を見回す。仮にこれまで冒険者達に手を出すつもりがなかったとしても、昨晩の喧騒に眠りを妨げられて魔が差してしまった事は充分に考えられる。
 ヨハンがそう思っていると、唐突に宿屋の扉が勢いよく開き、複数人の酔っ払った様子の中年男性が、怒ったような顔をして床を鳴らしながら入って来た。

 
「罪もない人間を襲った冒険者はここかぁ〜っ!」
「おら、出て来いこらァ〜!」
 彼らの険しい顔と怒りの声からは、期待と愉悦の感情が透けて見えた。だがすぐにヨハンとロバートの足元の惨劇を見て声を裏返らせた悲鳴を上げ、もつれる足で我先に逃げていった。

ロバート
「見られちまったな……こりゃもう駄目だ」
 逃げた村人とは対照的に、慌てる様子もなくロバートがため息をつく。

ヨハン
「だ、駄目って……どうするんだよ」
 ヨハンは浮き足立つ自分を抑えて話す。

ロバート
「決まってんだろ。逃げるんだよ」

ヨハン
「えっ……だ、だがそんな事をしたら依頼放棄どころじゃ……。それに、俺たちが宿屋に毒を盛ったとか思われたら……!」

ロバート
「それどころじゃねえだろ! このままここに留まってたら村人かクレイグにやられちまうぞ! 人が集まってくる前に逃げるぞ! 早く荷物まとめろ!」

ヨハン
「あ、ああ……!」

 
 そしてヨハンはすぐ2階で武装を整え、荷物を背嚢(はいのう。リュックサック)にまとめて背負った。
 1階へ降りようとした時、隣部屋の布をかぶせられたバジリアが目に入って思わず足が止まったが、先に1階へ降りていたロバートに視線で制されて再度足を速めた。

 
 ロバートの慣れた手引きで裏手の窓から人通りのない道に出る。村人たちにはまだ事態が伝わり切っていなかったらしく、武装して道を走る二人の前に立ちふさがる村人はいなかった。
 しばらくは村の入口の門に向かう道を走っていたが、人の目がない事を確認してすぐに森へ入り、二人はそのまま西にある、ヒグマが侵入してきたという崖の切れ目を目指した。

 
 4章へ続く


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